大好きだった「交詢社ビル」が2004年に新しいビルとなってから13年経ちました。
他のビルがガラス窓に映っています。
再び銀座に戻らせて頂きます。
昨日の4/20は銀座大通りの「銀座SIX」(旧銀座松坂屋)のオープンの日でした。
その大通りから裏手に一本入った通りが交詢社通りです。先日記事にした銀座尾張町タワーの並びに
あるのが銀座6丁目の「交潤ビル」(旧・交詢社ビル)です。
旧・交詢社ビルは茶色の煉瓦タイルのレトロなビルで私の大好きなビルの一つでもありました。
その歴史的建造物の建物を残そうと日本建築学会などが保存を願い出ていましたが、2002年壊されて
しまい、2004年に正面玄関をファサード保存した姿で竣工しました。以前とは似ても似つかぬビルに変貌して
しまい、当時は本当にがっくりきたものです。あれからもう13年も経つのだと今回、感慨深くこの建物を眺めて
いました。私の一番の心残りは以前の古い建物の写真を撮っておかなかった事に尽きます。
「交詢社」は1888年に福澤諭吉の提唱により慶應義塾大学のOBが主体となって作られた日本初の実業家
などによる社交クラブでした。大学を出て社会人となった人々がどんどん変わって行く実社会に対応する為、
各人が各々の知識を交換し合って流動する社会の変貌に対処して行こうとする機関でした。
会員はその当時から1800名も居たそうで、主な会員の中には天皇の教育係だった小泉信三氏の父である
小泉信吉氏もいました。会員は実業家だけでなく官吏、学者、商業、農業など多岐に渡っていたそうです。
銀座の最初の「交詢社本局」の建物は1923年の関東大震災で焼失してしまいます。
その後、1929年(昭和4年)12月に鉄筋コンクリート造り9階建てと付属の3階建ての建物が完成しました。
米国コーネル大学で建築を学んだ横河時輔の設計で、耐震設計の近世ゴシック建築とも言われていいました。
その建物にはクラブ会員専用スペースのサロン、小会議室、談話室、和室、ビリヤード室、バーなどがあった
そうです。この内部の一部は現ビル内に保存されたそうです。毎週金曜日には午餐会が行われました。
各宮家や三井・住友とも密接な関係にあるそうです。日本初の「紳士録」を発行していました。
1Fには商業用スペースが在り、高級カフェや喫茶店、バーなどもありました。いつの時代かはよく判りませんが、北側には「交潤マーケット」まであったと聞きました。私の知っている時代には小料理屋、中華料理店、
ビアホールなどが在ったように記憶しています。
そんな交詢社ビルも今は「交潤ビル」となり銀座6丁目の地で光輝いているように見えました。
あのくすんだ茶色のレトロな感じは表玄関の一部にしかその面影を見つける事が出来ません。
建物横側の半円形のテラスと窓などの私が好きだった部分は永久に見られなくなってしまいました。
古い建物のファサード保存が現在の建築の主流ですが、表面だけを安易にくっつけたような見るからに薄っぺらなファサード保存にはうんざりする事が時々あります。交詢社ビルに関しても、これが成功だったとは思えません。もう少し違った形のファサード保存があったのではないかかと思います。
銀座東劇ビル、日比谷の三信ビル、そしてこの交詢社ビルなど歴史的建築がどんどん壊されて行ってしまった
今の東京です。未だに残念でなりません。
☆旧・交詢社ビル・・・・・東京都中央区銀座6-8-7
1929年(昭和4年)12月竣工
設計:横河時輔、横河工務所
施工; 清水組
鉄筋コンクリート造り、9階建て+3階建て別館
2002年、解体
☆交詢ビル・・・・・・・・東京都中央区銀座6-8-7
2004年竣工
設計: 清水組
施工: 清水組
10階建てRC造り、正面入り口のみファサード保存
1~2には「バーニーズNY 銀座店」が入居、
その他多くの飲食店が在る
三井不動産所有