今から8日前の2月19日にモード界の重鎮であったカール・ラガーフェルド氏がパリで永眠されました。
いつも元気なおじい様という印象だったカール・ラガーフェルド氏の逝去の知らせに少々ショックを受けました。
2月19日、パリで亡くなりました。享年85歳(1936-2019)でした。
カール・ラガーフェルド氏はドイツ人でハンブルグ生まれ、14歳でファッション修行の為パリに移住。
パリ・オートクチュール組合が経営する学校でファッションを学びます。同級生には後に親友となりライバルとも
なったイブ・サンローランが居ました。
1954年、国際羊毛事務局主催デザインコンテストのコート部門で優勝。その時まだ17歳でした。
その後、ピエール・バルマンのアシスタントとして3年間働き、その後はジャン・バトウやクロエ、フェンディなどで働いていましたが、彼を一躍有名にしたのは1983年、傾きかけていた老舗メゾンの「シャネル」を見事に復興させたことです。クリエイティブ・ディレクター、ヘッドデザイナーとして手腕を振るいシャネルを立て直したのです。
私生活では19歳の時にフランス貴族の血を引く男性ジャック・ドウ・パシェールと恋に落ちます。
同性との愛を隠すこともなく、ジャックが1989年に38歳でエイズで亡くなるまで同棲していました。
ジャックが亡くなる数日前は病院に泊まり込んで介護していたそうです。
このジャックがイブ・サンローランと浮気した時でさえも寛容でした。イブ・サンローランにはパトロンであり長年の
恋人であった男性ピエール・ベルジェが居るというのにイブ・サンローランは浮気癖があったようです。
この辺りは映画にもなったので、ご覧になった方も多いのではと思います。
カールもまさか親友と恋人を共有する事になるとは思ってもいなかったでしょう。
それでも背徳的で自堕落なジャックを生涯愛し続けたのです。
2008年、イブ・サンローランは71歳で亡くなり、彼の恋人のピエール・ベルジェも86歳で亡くなりました。
そして今回のカールの死、パリのファッション界を牽引してきた人達が皆亡くなってしまいました。
ピエール・ベルジェはサンローランを「モード界の皇帝」と呼んでいましたが、カール・ラガ―フェルドも同じく
「モード界の帝王」と呼ばれました。今頃、きっと天国で再会しているのではないでしょうか・・・・・。
晩年のカールは白髪をポニーテールにまとめ、黒いサングラスがトレードマークでした。
モナコ公国の「薔薇の舞踏会」(グレース公妃が1954年にチャリティーイベントとして始めた、収益はグレース
財団に寄付される。) この薔薇の舞踏会を毎年プロヂュースしていたのがカールでした。
毎年3月に行われる薔薇の舞踏会に今年はカール・ラガーフェルドの姿が無いと思うととても寂しい気持に
なります。ちょい悪おじいちゃんのようなカールが大好きでした。
2匹の愛する猫を残し亡くなっていったカール・ラガーフェルド氏に心からお悔やみ申し上げます。
本人の遺言により火葬され、遺灰は母親の遺灰と恋人ジャックの遺灰と共に撒いて欲しいそうです。
きっと青い海か緑の大地に愛する人達の遺灰と一緒に撒かれたことでしょう。
カール・ラガーフェルドの人生は素晴らしい人生だったと思います。
主な経歴
ピエール・バルマン(1954-1957)
クロエ(1962-1998、1982-1997)
フェンディ(1965~2019)
シャネル(1982~2019)
カール・ラガーフェルド(1984-2019)・・・・自身のブランド
H & M(2000~)