昔、母とよく来ていた横山町の問屋街です。
横山町問屋街
日曜日のため閑散としている
大手問屋のエトワール海渡(かいと)
この海渡によく母と仕入れに来ました。
分館が、あちこちに在ります。
エトワール海渡のショールームのある古いビル
海渡ビル
以前の浅草橋の記事に、昔、今は亡き母が”おしゃれの店”(昔はこう呼ばれていた)をやっていたと書き
ました。扱っていた商品はアクセサリー、ハンカチ、ストッキング、陶器の置物、中原淳一や内藤ルネなどの
便箋、封筒、その他ファンシー小物などでした。それらの品物を仕入れするために、このエトワール海渡や
横山町の中小の問屋に行っていました。
春休みや夏休みなど学校が休みの時は私も母に付いて行っていました。もう何十年もの話ですので、
これらのお店は健在なのか確かめたく、横山町の問屋街を訪れました。
大手問屋さんである「エトワール海渡(かいと)」のビルは表通りに堂々と建っていました。
そして裏通りにある昔の海渡ビルも健在でした。私は心の中で亡き母に話しかけました。
「お母さん、海渡に来たわよ!」と、そして今、私の隣に母が居ないのがとても不思議でなりませんでした。
この海渡と共に訪れた横山町の問屋さんでの思い出が色々甦ってきて切なくなりました。
母が亡くなってから1年5ヶ月経ちましたが、未だに母の死を受け入れられない自分が居ます。
この海渡ビルを見て、母との思い出は益々増して行きますが、それでも心の中で、ある程度の折り合いが
着いたようにも思えました。海渡ビルを眺めながら母を偲ぶことで、少しは供養になったのではと思います。
エトワール海渡さん、あの当時はお世話になりました。そして有難うございました。