新宿は子供の頃から一番なじみのある繁華街といえるでしょう。デパートの買い物も映画も食事も家族で行く時はいつも新宿でした。我が家の駅からJR中央線1本で行けるのでとても行きやすかったからです。
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昔、新宿副都心のこの辺りは「淀橋浄水場」でした。
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時々、子供の頃の古い新宿駅を思い出します・・・。
今回は西口方面を重点的に廻りました。
新宿野村支店ビル
損保ジャパンビル
日本興亜日本興亜美術館
その当事の地図
私の両親は結婚後、この辺りのアパートに新居を構えました。確か十二社池(じゅうにそういけ)や
熊野神社のそばだったと聞いています。ですので、この付近は私の原点のような場所です。
新宿は江戸時代は”内藤新宿”といって宿場町として栄えました。現在の東口や南口などは活気があった
ようですが、現在高層ビル群がある西口方面は農地や広大な野原が広がっていたそうです。
そこを「淀橋浄水場」にして、都民(府民)の水の供給口として重要な施設になりました。
1965年に淀橋浄水場は閉鎖され、跡地に超高層ビルが次々と建設されました。
1970年ごろ、京王プラザビルが建築されている様子を今でも、はっきり覚えています。(1971年竣工)
あの日からもう45年も経つことに驚かされます。その後、新宿住友ビル、KDDビル、新宿三井ビルなどが
どんどん作られ、新宿副都心が形成されて行きました。
1991年には有楽町から東京都庁が移転してきました。
高層ビルの谷間に立ち、見上げていると、小学生の頃に都内見学で訪れた「淀橋浄水場」のことを
懐かしく思い出します。