1966年に西口地下広場・通路が完成しました。
設計は坂こ倉準三さんです。この設計で日本建築学会賞を受賞しました。
地下通路
動くく歩
新宿西口地下広場が出来たのは1966年のことですから、来年で50年になります。
東口に較べ余り何も無かった西口が大規模に再開発され、京王百貨店、小田急百貨店なども同時期に出来、新しい新宿の顔になりました。建設中の様子を今でも、はっきり覚えています。
地下といっても頭上が吹き抜けになっていて大陽の光が届くモダンな設計でした。
設計されたのは、小田急百貨店本店と同じ坂倉準三氏です。(坂倉氏はル・コルビュジエに師事し日本における
モダン・ムーブメンとの先駆者。パリ万博日本館、神奈川県立美術館、東急会館など数々の建築に携わる。)
地下広場を中心にJR,小田急、京王、地下鉄丸の内線の各改札につながっています。立体駐車場、タクシー乗り場、地下商店街も作られました。西口交番も有名ですね。
この広場で1969年2月ごろから、ベトナム戦争に反対する反戦フォークソング集会が度々開かれるようになり若者が大勢集まり、ベトナム戦争反対のフォークの拠点となったのです。序々に過激になり、多くの若者たちが押しかけることを警察は危惧し、1969年6月28日、機動隊2千人が何千人という群集めがけ突然”ガス弾”を一斉に発射し強制排除した場所です。権力に対すると怒りと憎しみと悲しみに満ちた場所でもあります。
もう2度とそこで歌うことも集会も出来なくなりました。その後は新宿中央公園に場所を移し、しばらく活動して
いました。群衆の真ん中に立ち、ギターを手にフォークソングで闘った彼らを忘れることが出来ません。
前年の1968年10月21日、新宿東口広場で決起集会をし新宿駅構内に乱入し、放火、投石をくりかえした
新・左翼(当事)の事件と共に今でも忘れられません。(翌日、新宿駅は完全に破壊されていました。)
今、思い返すとすごい時代、すさまじい時代だったな・・・と思わずにはいられません。
1971年には京王プラザホテルが完成し、その後、次々に超高層ビルが建てられ、西口広場から高層ビル街
に通じる通りが出来、都庁も移転してきて、”動く歩道”も設置されました。
その陰で多くのホームレスの人達が排除されて行きました。
今は何事も無かったかのように、平和な風景が広がっていますが、旧・西口広場、西口通路に立っていると、
昔の様々なことが、いやおうなしに蘇ってきます。