今年も3・11の日が訪れました。今年で7年という月日が経ちましたが、昨日のことのように思われます。
3月10日と3月11日は2日続けて毎年、大変辛い思いになる日です。
3月10日は「東京大空襲」で東京が焼け野原になった日で、今年で73年になるそうです。
そして今日の3月11日、地震が起きた午後2時46分を永久に忘れることは出来ないと思います。
あの日、東京も震度5弱で大きく揺れ被害も各所で出ました。勤め先から徒歩で帰宅しなければならなかった事、飲料水やお米、食料品、電池などが品切れになり、スーパーの棚がガラガラだったことも思い出します。
計画停電で電気がバッシと切れる瞬間の何とも言えない気分、信号も止まり、多くの店は閉まり、確か銀行の
ATMも使えなかったと思います。なるべく電気を使わないよう、電車も本数が減らされ、構内、ホーム、電車の
中も灯りは点かず、東京はひっそりと暗い雰囲気に包まれていました。
東京湾に近い付近は液状化現象で道路がでこぼこになっていました。
それでも甚大な被害を受け多くの方々が亡くなられ、家屋が流されてしまった東日本・東北の方々の深い苦悩に較べれば何でもない事だったと今は思います。そしてあの福島の原発事故・・・絶望感に襲われました。
テレビや新聞で毎日、毎時間流される被災地の惨状を見て行くうち、急性心的ストレスになってしまい、鬱ぽくも
なり、毎日被災地や被災地の方々、亡くなられた方々、行方不明の方々を想い泣く日々が続きました。
(今日も朝から泣いています・・・。)
勤務先でボランティアを募っていましたが、家族に病人が居たため私は参加する事が出来ず、被災地に何も
出来ないジレンマで悩む日々でもありました。私にできることは募金に応じることくらいでした。
そんな中、あの当時はこのブログでも毎日、震災の記事ばかり書いていました。私にできる事は震災地の今、
そして震災に遭われた方々の思いを少しでも記事にすることくらいしか無いと思ったからです。
あの当時を振り返り、最近もう一度読み返してみました。
興味のある方は「東日本大震災」の書庫に入っておりますので、お読み頂ければ幸いです。
現在も行方不明の方々は2600人を超えるそうだと聞き、胸がしめつけられました。
復興の歩みはまだまだ遅く、仮設住宅での孤独死も問題になっていますし、援助も打ち切られ途方に暮れて
いらっしゃる方も多いのが現状です。また、福島から避難した方々の多くは未だに故郷に帰れず家族離れ離れ
の生活を余儀なくされていると聞きました。
政府や県は福島の除染が済み、避難指示地区にもう戻れるような事を言っていますが、生活していく上での
インフラや病院、お店、働き場所など解決されているとは到底思えません。
福島で牧畜業をなさっていた方が今、試験的に除染の行われた水田で放牧をしようとされているそうですが、
水田は除染されたものの、”あぜ道”は除染されていないと知り唖然としました。
近所の林や森、山なども除染されていないそうです。福島の復興には100年かかると言われているそうで、
愛する故郷、福島に戻りたい方々の心情を思うと胸が痛くなります。
こんなことなら”東京オリンピック”などやらずに東日本大震災や熊本大地震の被災地にお金は使われるべきだと思いました。震災は絶対に風化させてはならないと思います。
震災被害で避難生活をされている方や福島から避難しているお子さん達は深刻ないじめにあっています。
大人の方でさえもいじめにあっているそうで、同じ日本人として悲しくなります。
そして福島のお米や農産物は厳重に検査した安全な品を売っていますので、皆様ぜひ福島や東北の食料品を
買って、復興にご協力下さい。
もうすぐ、今年も午後2時46分がやってきます。改めて震災で亡くなられた方々のご冥福と、行方不明の方々が
親族の方々に戻られること、被災地の復興を心からお祈りさせて頂きます。
黙祷。