今日、1月17日で、阪神・淡路大震災から20年が経ちました。
![イメージ 1]()
![イメージ 2]()
阪神・淡路大震災のことはいつも忘れたことはありませんが、20年ということで色々な想いがいつよりも
堰を切ったようにあふれ出してきました。
若い頃、大好きで何度も訪れた神戸を襲った非劇を知った時のショックが昨日のように甦ってきます。
あの日、テレビの地震速報で大地震を知った時からテレビの前に座り続け、次々に映し出される
神戸の街のひどい様子に、神戸や淡路島の方々の安否を心配し、震える想いがしました。
そして夕方から夜にかけて真っ赤な炎が長田の町を焼き尽くす様子に絶句しました。
愛する神戸の街が燃えている・・・。そして三宮のデパートが崩れ、多くのビルが倒れ、アーケード街も
壊滅状態でした。その中で6434人の貴重な命が失われたのです。
前にも書きましたが、その夜以来、毎晩のように廃墟のようになった神戸の街を泣きながら歩く夢をみました。
あの日から20年が経ったのです。
前日の午後11時頃からNHKラジオの「共に迎えたい、阪神・淡路大震災20年~みんな大切なひとり」の
番組を聴き始めました。翌朝6時までの番組と知り、途中で少し眠ろうかと思いましたが、被災者の方々の
お手紙が読まれる度に、皆さんの辛かった20年を想い涙し、眠れず、ずっとラジオを聴いていました。
ご両親や祖父母を亡くされた方、お子さんを亡くされた方、助けたくても助けられなかった消防士のお話、
間に挟まれる、地震に関連した歌や音楽、松永貴志さんのピアノ曲「神戸へ」を聴いた時はもう堪えきれず
号泣しました。結局一睡もせず朝5時46分を迎えました。
ラジオから流れる、東遊園地の慰霊祭の様子と共に合掌し、亡くなられた方々のご冥福をお祈り
しました。
唯一、希望が持てたのは、当時小学生だった方や、震災後に産まれた若い方達が震災を風化させまいと
語り継いでいこうという意思を持ち、活動されていることです。
最近、いつも心の中に流れてくるのは「しあわせ運べるように」です。
皆さんもよくご存じの歌だと思いますが、ご自身も被災された神戸の小学校の音楽教諭の臼井誠さんが、
避難先のご親戚の家でテレビで三宮の惨状を見て、瞬間的に詞を書き、作曲されたものです。
その後、神戸の小学生のコーラス隊によって歌われ、日本全国はもとより海外でも歌われるようになった
歌です。臼井さんは、ラジオでもこの時の様子を語っていらっしゃいました。
20年間、ずっと歌われてきた歌です。東日本大震災の時も歌われました。
☆「しあわせ運べるように」~作詞・作曲 臼井誠
地震にも負けない強い心をもって 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を元の姿に戻そう 支えあう心と 明日の希望を胸に
響きわたれ僕達の歌 生まれ変わる神戸の街に
届けたい わたしたちの歌 しあわせ運べるように
地震にも負けない 強い絆をつくり 亡くなった方々のぶんも 毎日を大切に生きてゆこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
やさしい 春の光のような 未来を夢み
響きわたれ僕達の歌 生まれ変わる神戸の街に
届けたい わたしたちの歌 しあわせ運べるように
響きわたれ僕達の歌、生まれ変わる神戸の街に
届けたい わたしたちの歌 しあわせ運べるように♪
---------------------------------------------
神戸の街は20年を経て、今見事に復活しました。
でも愛する人、大切な人を亡くされた方々の悲しみは今も続いています。
復興住宅での高齢者の方々の孤独死も増えています・・・。
もう一度、亡くなられた方々のご冥福をお祈りさせて頂きます。
そしてこの阪神・淡路大震災を絶対に風化させてはならないと思います。