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Channel: ☆夢織人の街TOKYO散歩&思い出の場所Ⅱ
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☆さようなら!銀座松坂屋~星の食堂よ永遠に!

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銀座松坂屋が6月30日をもって閉店してしまいました・・・。
 
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                銀座松坂屋のあった銀座通り(2009年ごろ撮影)
 
 
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                        銀座松坂屋(2009年ごろ撮影)
 
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                         同じく2009年ごろ撮影
 
 この前、渋谷東急百貨東横店東館閉館の記事を書いたばかりなのに、今度は松坂屋銀座店が6月30日で
閉店してしまいました。ブログの友人の記事の写真を見た時、せつなくて涙がこぼれてきました。
この日で閉館すると知っていながら、私は松坂屋銀座店にお別れに行けませんでした。
東急百貨店日本橋店、そごう有楽町店、伊勢丹吉祥寺店、名古屋駅前松坂屋、横浜駅ビルの閉店の時には
お別れに行ったのに、何故行かなかったのだろうと悔やむばかりです。そういえば横浜松坂屋、池袋三越、
八王子そごうにもお別れに行けませんでした。(本当に随分、色々なデパートが閉館しています。デパート受難の時代です)
 
思えば、余りにも思い出のあるデパートです。子供の頃は母と時々行き、近くの会社に勤めていた叔母(母の妹)と待ち合わせしたり、屋上遊園地で遊んだ思い出があります。確か屋上遊園地には観覧車があったように
記憶しています。(屋上遊園地は最近まであったようです。)
 
社会人になってからは、以前勤めていた旅行会社のカウンターがあり、書類など届けるため上野松坂屋と
銀座松坂屋は毎日のように行っていました。同僚と従業員用の喫茶室でお茶したことも懐かしい思い出です。
 
その会社を辞め、新しく勤めた会社は松坂屋から2分くらいの所にありました。もっと頻繁に行くようになり、
服や小物を買ったり、帰りがけは地下の食良品売り場で買い物をして帰るのが日課でした。
デパートの全ての階の売り場の隅から隅まで知り尽くしていました。それだけに余りにも閉館は寂しいです・・・。
もう一度、思い出の屋上遊園地を訪れたいと思っていたのに叶わぬ夢となってしまいました。
 
松坂屋銀座店は関東大震災の翌年の1924年(大正13年)、当時の尾張町(現・中央区銀座6丁目)に
銀座初のデパートしてオープンしました。震災前の銀座は新聞社が多かったそうですが、松坂屋がオープンしたことで、序々に近辺に色々なお店が増えました。銀座松坂屋は震災後の希望のシンボルでもありました。
 
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                           大正時代の銀座松坂屋
 
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                          最上階にあった「星の食堂」
 
 
1929年(昭和4年)エレベーターガールを採用
1930年(昭和5年)お好み食堂オープン
そして時が経ち、1964年(昭和39年)アントニン・レーモンド設計により、旧館部分を建て直します。
1984年(昭和59年)銀座通り唯一の屋上ビアガーデン「ライオンビアガーデン麦羊亭(ばくようてい)」が
オープン(経営はサッポロ・ライオでライオンビアホールと同じ系列)、この屋上ビアガーデンは昨年の夏まで
やっていたそうです。私は一度も行ったことが無かったので、行ってみたかったです・・。
 
こうして銀座松坂屋は人々に数々の思い出を残し、88年の歴史の幕をおろしました。
跡地はJフロント/森ビルの共同計画により、銀座最大級の地上13階、地下6階の大規模複合施設ビルが
建設されます。このビルのテナント部分に松坂屋が入るかどうかは未定だそうです。
もしかしたら、この地に2度と松坂屋は戻ってこないかも知れません。
 
♪今宵、逢ひましょ 銀座の街で
   名さへ あなたを松坂屋
 昇降機(リフト)上がれば 星影、灯影
 空のサロンの朗らかさ
 
と歌にもなった銀座松坂屋の「星の食堂」です。昭和初期に在ったのでしょうか。
実際に行ったことも、見たこともないのに今夜も私の心の中で、「星の食堂」がキラキラ、きらめいています。
 
銀座松坂屋そして「星の食堂」よ永遠なれ・・・。

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