真珠湾奇襲から75年を迎え、安倍首相がハワイ入りしオバマ大統領と共にアリゾナ記念館で慰霊しました。
ヤフー画像からお借りしました。
1941年(昭和16年)12月7日未明(ハワイ時間12月8日、午前7時頃)、日本海軍はアメリカ海軍の太平洋
艦隊基地に奇襲攻撃を敢行した。日本海軍が行ったのは航空機及び潜航艇による攻撃だった。
これが実質的な太平洋戦争の幕明けとなり、奇襲には成功したものの、その後日本と日本国民は苦難の道を
歩むことnなる。今回の両首脳のアリゾナ記念館慰霊は日本とアメリカの和解、そして平和な世界を構築して行く
ことを世界にアピールする事が主な目的であった、オバマ大統領の広島訪問に対する返礼とも言われている。
当時はまだアメリカの準州であったハワイ州のホノルルにある真珠湾基地の軍人にとっては寝耳に水の出来事だった。まさか日本が奇襲してくるとは思わず最初は高官でさえも軍事演習だと思ったそうだ。
しかし当時、日本の暗号はアメリカ側にことごとく読解されており、当時のルーズベルト大統領や政府関係者は
事前に知っていたという説が根強い。つまり戦艦アリゾナやその他の軍艦は囮(おとり)に使われたという説だ。
国際法にのっとての戦線布告の文書は在米大使館の送別会のため解読とタイプが間に合わなかったとされて
いるが、最近では軍部が意図的に遅くさせたという説も出ている。
最大の被害が出たアリゾナ艦は炎上し役12m下に沈んだ。1177人乗組員のうち1000名は共に沈み、今も
アリゾナ艦の中で眠ったままでいる。かろうじて命が助かった人も高齢のため現在では5名となっている。
12月27日にオバマ大統領と共にアリゾナ艦を訪れた安倍首相は献花をして亡くなられた人々への哀悼の意を
表した。そして式に招待されたアリゾナ艦生存者と握手、抱擁、言葉を交わした
生存者の一人の米国人は「まさか、安倍首相から抱擁されるとは思っていなかった。もう憎しみはありません。」と語っていた。アリゾナ記念館が建設された当時は日本に対する憎しみの象徴だったか、最近では世界平和の
象徴となりつつあるそうだ。安倍首相は米国との和解と今後の不戦の誓いを宣言したそうだ。
オバマ大統領が広島を訪問した時、これでやっと戦争が終わったと思ったが、今回の両首脳の真珠湾慰霊で
一層その感が強くなった。
パールハーバーのアリゾナ記念館はハワイ観光のスケジュールに含まれていることが多いので、訪れた方も
多いと思う。私も最初にハワイを訪れた時に行ったが、アリゾナ艦には遊覧船のようなボートで行くのだが、
途中すれ違うアメリカ人の慰問団体から「リメンバー、パールハーバー」と大きな声で叫ばれたことが今でも
忘れられない。そしてアリゾナ艦の真上に建っている記念館に到着した時、水面に油が流れ出ている事にも
驚かされた。私が立っているその下に引き上げられることも叶わず、遺骨となって眠っている1000人の方々の
事を思い、深い悲しみに襲われたことを昨日のように思い出す。
沈んだままのアリゾナ艦からは2016年現在でも、未だに1日6~9リットルの油が流れ出しているそうだ。
真珠湾と広島・長崎・東京大空襲を同列に語る事は出来ないが、戦争の酷さ、恐ろしさ、悲しみはどちらも
変わらない。太平洋戦争、第二次世界大戦の悲劇を2度と起こしてはならないと思う。
世界は今も平和では無いし、内戦やテロが日常茶飯事のことになっている。
来年からトランプ氏が大統領になり世界はどう変わって行くのか予測が難しい。
願わくは第3次世界大戦が起きない事を願う。この大切な地球が滅びない事を祈る。