新宿 甲州街道から右に曲がり十二社通りに向かいました。
十二社通り(右手にはは熊野神社がある)
中々洒落たデザインの交番です。
JR新宿駅から甲州街道を経て右に曲がり「十二社通り」に行きました。
場所的に言うと、新宿副都心の東京都庁裏手の「新宿中央公園」の裏側になります。
何故、十二社通りに行ったかというと、かつて私の今は亡き両親が新婚時代に住んでいた場所だからです。
私の両親は早稲田の「穴八幡神社」で挙式し、その後すぐ十二社付近で新婚生活を始めました。
以前から十二社通りに行きたいと思っていましたが、いつも都庁止まりで帰ってきてしまい中々行く機会が
ありませんでした。両親が十二社のどの辺りに住んでいたのかは判りませんが、一応ここまで来れてほっとしました。父は通勤するのに、きっとこの十二社通りと甲州街道を通って国鉄「新宿駅」に行っていたと思います。
両親が亡くなる前に場所を聞いておけば良かったと後悔しています。きっと大通りから横道に入った方面ではと思います。それでも何となく雰囲気だけは感じ取れて嬉しく思いました。
なぜ「十二社」という名前が付いているのかというと、新宿中央公園の横にある「熊野神社」が、古くから
「十二所権現」を祀っていたからだそうで、、江戸時代、熊野神社は「熊野十二所権現社」と呼ばれていたので、それを縮めて後世になってからこの地域を「十二社」と呼んだのだと思われます。
以前は温泉もあったと聞きました。そして昭和43年までこの辺りには大きな池があったそうです。
それでバスの停留所は「十二社池の下」になっているのでしょう。江渡時代は風光明媚な庶民の憩いの場所で
滝もあり、錦絵にもなっている名所でした。
私が東京で一番残念に思うのは、赤坂の溜池(ためいけ)とこの十二社の池を埋め立ててしまったことです。
赤坂の溜池も大きく、江戸時代にはやはり庶民の憩いの場所になっていたそうです。
溜池の地名は道路標示と東京メトロの「山王溜池」に残されていますが、現在の赤坂日枝神社の前辺りまで
池になっていたそうです。 きっと上野の不忍池のような感じで賑わっていたのだと思います。
話がそれてしまいましたが、私としては、十二社通りや十二社商店街や十二社池の下のバス停留所にその名前が残されていることだけで満足としなければなりません。若き日の新婚時代の両親を偲ぶ1日となりました。
追記: 熊野神社隣の交番の建物がレトロで素敵なので、警官の方々に見つからないよう撮影しました。
交番の方々、写真を撮らせて頂き誠に申し訳ありませんでした。