「大倉集古館」は、前の記事の旧大倉財閥、大倉喜八郎が蒐集した古美術品を保管・展示している私設美術館です。
大倉集古館(設計:伊東忠太)
大倉コレクションとも呼ばれています。
財団法人「大倉文化財団」が管理・運営しています。
横の入り口の門
こちらは大倉集古館正面入り口
中国風な建物です。
六角形の窓が印象的です。
こちらの窓も中国風です。
庭に置かれた仏像
「大倉集古館」は、前の記事でご紹介した、幕末から明治、大正期にかけて大きな財をなした旧大倉財閥の
創始者である実業家、大倉喜八郎が長年に渡って蒐集した日本・東洋の古美術(明治11年くらいから集め始めた)を収蔵、展示するため、大倉邸の敷地の一角に大正6年(1917年)8月に開館した日本最初の私立美術館です。(運営;大倉文化財団)
しかし大正12年(1923年)の関東大震災で火災に遭い展示館と一部の展示品を焼失してしまいます。
その後、昭和3年(1928年)、伊東忠太による設計で、耐震・耐火の中国風の展示館が再建されますが、
昭和30年代にはホテルオークラ建設のため、残念ながら一部の建物が解体されました。解体以前は現在よりも
数倍も壮麗な建築だったそうです。
現在ある蒐集品は日本・東洋の絵画、書跡、彫刻、陶磁器、漆工、金工、刀剣、能面、能装束、考古遺物など
約2500点と中国の古典籍(漢籍)約1000部で、国宝、重要文化財も数多くあります。
その中でも、国宝の「木造普賢菩薩(平安時代)が最も有名です。
戦後の財閥解体で大倉家は多くの事業を手放しましたが、この「大倉集古館」が残されたことは、私達
日本人にとって大変価値があることだと思います。大倉家の貴重な古美術品が海外などに流失することなく
現在もこの地で一般に公開され見ることが出来るのは幸いです。
「ホテルオークラ東京」近辺にいらした時は、まん前にある「大倉集古館」を是非、訪れてみて下さい。
☆「大倉集古館」・・・東京都港区虎ノ門2-10、ホテルオークラ東京の隣
大正6年(1917年)8月開館
大正12年(1923年)関東大震災により、展示館及び一部収蔵品焼失
昭和3年(1928年)伊東忠太設計により展示館再建、現在に至る
☆館内は撮影出来ませんので、建物外観、お庭の石仏などの写真を撮ってきました。