小田急線の踏切を超えてすぐの所に、レトロな建物がありました。
山野ホールに向かって歩いて行く途中、彼方にレトロな建物が線路の向こう側に見えてきました。
不思議なことに何だか建物に呼ばれているような気がしました。
その向こうにある代ゼミタワーよりも余程インパクトがありました。
私は一体、なんの建物なのだろうと、惹きつけられ、急いで線路を渡って見に行きました。
そして夢中で写真を撮りましたが、あいにく正面近くには車があり人の出入りもあったので、正面や塔屋などは
余り良く撮ってこれませんでした。そして横側に廻ると、ガラス窓に「小田急トラベル」の文字が見えたので
この建物が「小田急」関連の建物である事だけは判りました。
建物の色は紫ぽいグレー、パープルグレーというのでしょうか、とても上品な色あいの建物です。
正面玄関の曲線を取り入れた形状や、半円形の窓がクラシックで素敵です。
塔屋やバルコニー部分も素晴らしい建物で、しばらく見入ってしまいました。
この建物は一体誰が設計したのだろうと思いながら、その場を離れましたが、いつまでも気になっていました。
その設計者が遂に判りました!私のブログの友人である建築愛好家のGさんから、あの建物は旧・小田急本社
の建物で、設計者は服部時計店やニューグランドホテルなどを設計した渡辺仁さんだと教えて頂きました。
そうだったのか、渡辺仁さんの作品だったのかと思うと何ともいえない感慨がこみあげてきました。
あんなに素敵な建物を設計できる人はそうは居ないと思っていたので設計者が判って本当に嬉しく思いました。
渡辺仁さんの作品も1部を除き、やはり壊されて行く建物が多いのが何とも残念でした。
今から90年前の1927年竣工のこのビルが壊されずによく残っていてくれたと涙がこぼれるくらい感動しました。小田急電鉄さん、有難うございます。そして教えて下さったGさん、有難うございます。
その後、調べてみると、このビルは「小田急本社」として1927年竣工。現在は本社が西新宿に移転したため
このビルは”小田急電鉄本店”で、「小田急南新宿ビル」という名前だと判りました。
また今度、行ってじっくり塔屋部分の写真などを撮ってきたいと思っています。
私にはこの建物が、小田急線の線路の脇で電車達を毎日温かく見守ってくれているように思えました。
☆渡辺仁(わたなべ じん)さん(1887-1973)の略歴と作品
1912年 東京帝大(現東大)建築学科卒業、鉄道院に入省
1917年 逓信省(現の日本郵政に入省
1930年 独立し、渡辺建築公務所を設立
近代日本の建築家であり、作風は歴史主義様式、、帝冠様式、表現派、初期モダニズムと多岐に
渡っています。
主な作品
銀座服部時計店(現和光)、ホテルニューグランド(横浜)、第一生命館(戦後GHQが本部にした)、
東京日本劇場(日劇)、東京国立博物館(原案)、原美術館(品川)など多数の名作品を残されています。
この歴史的建築物である「小田急南新宿ビルがいつまでも在り続ける事を切に祈っています。