森ビルが再開発した「アークヒルズ」が出来てから、もう27年になります。
ARK HILLS
広場を中心にアークタワーズ、アーク森ビルなどの高層ビルが建っています。
アーク森ビル
レストラン「CHOICE!」
レストランへ降りる階段
大きな植木鉢?
「アークヒルズ」は港区赤坂1丁目と六本木1丁目にまたがって位置する大規模複合施設です。
オフィス、マンション、ホテル、コンサートホール、テレビ局、ショッピング&レストラン・カフェなどで構成
されています。民間(森ビル)による再開発事業としては国内最大級のものでした。
1986年(昭和61年)に完成しました。
このプロジェクトが始まったのは、今から46年前の1967年(昭和42年)で、計画開始から完成まで
約20年を要しています。その主な原因はこの赤坂1丁目や六本木1丁目地区は当時、住宅密集地で
住民達の反発を買い、用地買収にかなり時間がかかったのです。
再開発前のこの地区
先祖代々の土地と家を提供した人も多いと思いますが、それらの人達とじっくり対話を重ねた上で、それまでの
街並を壊し、全く新しい街を造りあげました。とはいえ、森ビルが最初から大規模再開発を考えていたわけ
では無く、六本木1丁目の、とある土地を買い、そこに高層ビルを建てる相談を国に行った所、再開発事業を
勧められたという経緯があります。また、森ビルの創始者である森秦吉郎氏には職・住一体の場所を作りたいという長年の夢がありました。国と森氏側の思惑が一致してこのプロジェクトが立ち上がることになったのです。
かつて私は六本木ヒルズの記事で、森氏の半生を取り上げました。新橋勤務時代に森ビルのナンバービルに
囲まれていたせいか、その当時から私は森ビルに興味を持ちました。
森ビル第2となっていますが、このビルが森氏が建てた最初の森ビル(西新橋)、撮影したのは2年前ですので、
現在もあるかどうか判りません。
新橋で米穀店を営み、貸し家業を副業とする実家から始まり、若き日、霊南坂教会で洗礼を受けたクリスチャンの森氏は戦後小さな不動産屋を立ち上げ(森不動産)、また同時に横浜商工代の大学教授でもありました。その森氏が終戦後の東京の焼け野原に立ち「いつかきっと東京を復興させてみせる!」と誓った話はいつも忘れられませんでした。彼の”東京復興の夢”の最終章がアークヒルズだったと思います。赤坂、六本木の高台の中腹から谷底にかけての起伏に富んだ場所にアークヒルズは誕生しました。
「ARK」は赤坂のAと六本木のR、そしてつなぎ目という言葉knotのKを組み合わせたものです。
今こうしてアークヒルズの場所に立つと、森氏の長年の夢が叶えられたこと、東京復興に賭けた一人の人間の
魂が伝わってくるように思えました。アークヒルズの後、「六本木ヒルズ」、「表参道ヒルズ」、「愛宕ヒルズ」など
森ビルによるヒルズ計画(再開発計画)がどんどん実現化して行きます。彼の遺志は確実に引き継がれて行きました。現在、森ビルの功罪が問われることも多々あります。再開発というのは本当に難しい問題です。
六本木1丁目、赤坂1丁目そして虎ノ門、奇しくも、それらの場所は住友家の思い、大倉親子の思いが込められた場所でもあります。住友の泉ガーデン、大倉家のホテルオークラ、そして森氏のアークヒルズ、それらが隣接
するこの地区は日本をより良い国にするために半生を捧げた人々の息吹が今も感じられる場所なのです。