お正月の「松の内」も今日1月7日で終わりですね。
今日は1月7日、今日で”松の内”も終わりですね。松の内は地方によって違うようで、関西は1月15日までだそうです。これにより鏡餅や酒樽の鏡開きは関東では1月11日、関西では1月20日になります。
お正月に年神様が門松を目印に家に来て、お供え餅に宿るとのこと。1月7日を過ぎてからの鏡開きは江戸
時代からのようです。その理由は3代将軍の家光の月命日が20日であることから従来の20日は避けて11
日になったが、関西にはそれが伝わらずに20の鏡開きが続いているみたいです。
松の内の間、私の母はずっと和服を着ていた事を思い出しますし、私も仕事始めに会社に振袖を着て行った
記憶があります。昔はそれなりの”けじめ”があったように思います。
元旦からあっという間に月日が飛び去って行く思いがします。この数年、特に時の流れの速さを感じます。
今日で門松やお飾りやしめ縄は取り外さなければなりません。そして今日は七草粥の日ですね。
今回は我が家はパスしました。こうやって歴史的な風習がいつの間にか無くなって行くのでしょう。
年末年始に、かつては伝統行事として存在し、今は余り見られなくなったものを列挙させて頂きます。
商店街の歳末大売り出しの大きな旗とくじ引きを殆ど見なくなった。
年末の街角でのしめ縄、輪飾りなどを売る屋台が少なくなってきた。
しめ縄、輪飾り、門松を飾る家が少なくなった(大きな商業施設は除く。)
都会では自宅で臼と杵によるお餅つきが無くなった。
お米屋さんにお餅を頼まなくなりスーパーなどで買うようになった。
大きなお供え餅(鏡餅)を飾らなくなった。小さなお供え餅で代用。鏡餅は平安時代からあるそうです。
12月中旬からお節料理の材料を購入し、自分でお節料理を作る人が減ってきた。
年越し蕎麦を食べる人が少なくなってきた。(地方によっては大晦日に年越しの豪華料理を食べる)
除夜の鐘を騒音に感じて止めて欲しいと思う人が増えてきた。
年賀状を出す人が減り、メールで挨拶する人が増えた。
元旦の朝に家長が新年初めてのお水をくむ”初水”の習慣が無くなった。
無病息災を祈り、お屠蘇を飲む習慣が少なくなった。
お節料理が和・洋・中華とバラエティー豊かになった。
子供達にお年玉を上げる習慣はまだ続いているようです。可愛いぽち袋を昔はコレクションしていた。
かるた、すごろく、福笑い、羽根つき、凧あげなどの子供の遊びが無くなってきた。
湛社に参拝する際、髪を結い和服(振袖)を着る若い女性が殆ど居なくなった。
ご近所に「お年賀」を届けに行く人が少なくなった。(実家では必ず和菓子の折箱を持って行っていた。)
昔は各家に”獅子舞”が訪れ福を授けていた。
「初売り」の旗が少なくなった。その替わりに福袋がやたら増えてきた。
町内での「出初式(高いはしごに上り芸を披露する)が無くなった。東京消防庁の出初式のみ。
1月7日の「七草がゆ」を食べる人が減ってきた。
1月11日の鏡餅の鏡開きをして、お汁粉などに入れて食べる人が減ってきた。
1月15日の「小正月」を祝なくなった。(昔は年末年始で忙しい女性を労う意味もあった)
お正月の飾り物を燃やし、無病息災を祈願する「どんど焼き」が少なくなってきた。
などなど我が家でも、もう行っていない風習がありますが、日本古来からの伝統行事は続いて欲しいと甚だ勝手な事を思っています。神社への初詣だけは今でも盛んですね。
昔からの風習はそれなりの根拠があって行われてきたと思われますが、年神様も昨今では色々迷われていらっしゃるのではと思ってしまいます。私達に出来うる範囲で伝統行事は続けて行きたいと思っています。
どうぞ今年が災害が少なく、平穏で素晴らしい年でありますよう、年神様にお願い致します。